忍者ブログ



Blog
| Home | 未選択 | お知らせ | 日々 | 3D | 旅記 | もの作り | Other |
[362]  [361]  [360]  [359]  [358]  [357]  [356]  [355]  [354]  [353]  [352
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

QOL的な面から見て住宅に意匠や個性は必要か?
という疑問。
個人的なノート。
私はマンションに生れ(病院だが)マンションで育った。
マンションという形式にそこまで否定的な意見は持ち合わせていない。
まぁ変わった部屋が好きで一人になってからはそういう部屋ばかり選んで住んでいるから注文住宅の需要というのはこういうところにあるのだろうけれど、それは必須のものであるか?
どうしてあえて注文するのか?

商品の付加価値としての差別化ではないのか?いやそうだけど。

私はあたらしいそこそこ高くは無い安くもないマンションの居室にデザインの存在と意匠の不在?を感じる。なぜ?
ドラマチックに言うならば願いを感じない。

一人の人間が自らの生活の運営にかけられる時間的コストは限られている。
人生の時間をどういう配分で裂くかというのは基本的には自由だ。
過去の累積で人生が決まるのならばその人は知ってか知らずかその状況への道を選んできたといえよう。
後悔があろうがなかろうが時間が不可逆的なものであるならば、少なくともそう感じている限り建設できるのは未来に限られる。
時間的コストの話に戻る。
家事ができないのなら人を雇うとかそういう話は経済とか歴史のお話になるので棚にあげておく。
つまり時間をかけて、意識をおいて、趣向を凝らした家に住みたい人も自由だが、時間も意識も居住空間の質や管理に対して払うつもりのない人だって結構いるだろう。

時間や意識をかけなくてもいい家に住みたいから断捨離が流行るのかなと思った。

そういう生活補助装置としての住宅だって、まだ完成、完璧にとはいってないんじゃないか・

何もない空間を作れば余裕ができるとか、その余裕は何も無くはないような気がする。うーん
PR

Copyright© 2006-2012 Kidate All Rights Reserved.
Powered by Ninja Blog Template by CHELLCY / 忍者ブログ / [PR]